お弁当作りについて
幼稚園に通いはじめた子供達。
最初の2日は帰り道の車で息子が荒れていた。
「ぼくはここの幼稚園行きたくない!」と。
2年間、別の園で過ごした経験があるからこそ、時間はかかるよね。
見守っていきましょう…と園の先生とそっと話していました。
そんな昨日、帰り道に
「ママ、ボクもう新しい幼稚園に慣れてきた。
今日は涙が出なかったよ」
と。
帰り道に男の子が息子にバイバイしている姿を見ました。
ああ、きっと今日はこの子に助けられたのだなと。
大人も子供も結局は人の繋がりに助けられます。一緒にいると楽しくて、心強い存在ができるといいね。
一方、娘はノリノリ。毎朝せっせと幼稚園の準備に励んでいる。
彼女は、初日の朝の会から「○○ちゃーん」
「🙋♀️はーい」
と楽しんでいるらしい。
意外や意外。あのべったり娘が。
昨日は園で遊び回り、帰宅してから水遊びをしたもんだから、夕方5時に台所の床で力尽き、朝まで寝てしまいましたとさ。笑
(兄が誤ってお茶を頭にこぼしたが起きなかった娘)
さて。
昨晩、サドベリースクールに通っていた経験のある星山さんという方の本を読んでいた。
「私は与えられた席で、与えられた給食ではなく、食べる物や、食べる場所、相手を自ら選んでいた…」…みたいな内容のところを読んでふと思った。
私は何で子供達に、私が決めた内容のお弁当を与えているのだろう。
ランチバイキングに行った時、「好きなものを選んで、食べれそうな量を取るんだよ」と教えているのに、日常では私が量を決めて与えている。
ランチバイキングの時の子供達は何だか楽しそうで、取りすぎて食べれなかったものには「勿体ない」ということを学ぶ。
昨年の夏に、長野にあるイエナプランの学校へ友達と遊びに行った時も、給食室がバイキング形式で、「子供達が自分で食べられる量を知ることにもなります」と話していたことを思い出した。
なんかウズウズする。
そうだ、明日はお弁当の内容(内容といってもおかずの量)を自ら決めてもらおう。
私が日々感じてきたお弁当を作れた達成感は私じゃなくて、子供が味わう事がいいのかもしれないと。
実際、私自身も高校生から自分でお弁当を作るようになり、毎日のお昼時間に満足感と達成感、そして、明日は何を入れようかと自ら考えて、買い物さえ行った事がある。
つまり自分で考えて行動に移すってそういうことか。と思った。
そして今日。
いつものようにおかずを作るものの、お弁当箱には詰めず、お皿に入れて並べた。
お弁当を用意して、
今日はおにぎりなのか、米を詰めるのか、ふりかけはかけるのか、味は何にするか…からスタートして、それぞれで、おかずの量と、弁当箱の中で詰める位置を決めてもらった。
小さな箱の中だけど、兄と妹で個性が出ている❗️
兄はチキンナゲットとミニトマトを沢山入れた。ふりかけも鮭。
妹はふりかけは赤しそで、人参サラダを沢山いれたがった。 娘が好きな大根の煮物を選ばなかった。きっと私が詰めたら、大根の煮物の割合が増えていたに違いない。
出来上がった時、兄が
「あっくんのお弁当食べるの楽しみだね!」
と言っていた。
今日幼稚園で弁当箱をあけた時に
自分が詰めたお弁当にいつもよりワクワクしているかもしれない。
そして、朝の時間もちょっとだけ充実したものになりました。
残り物は私がいただきます。
こちらは娘の作品。
何だか面白い事に気付けた気がしています。